夜の首都高で車窓からなんとなく外を眺めていると、照明のまばらについたオフィスビルやマンション、アパートなんかが目に入ります。
あのそれぞれの光の下には私とはまったく関わりのない何十年かを過ごしてきた誰かがいて、
その誰かは今日の仕事が終わって奥さんの作った夕飯に思いをはせながら今まさに照明を落として帰る瞬間かもしれない、とか、
その誰かは洗濯機を回しながら広くて明るいリビングで犬と一緒にソファに転がりバラエティを見て笑っているかもしれない、とか
その誰かは休日出勤でくたびれて椅子の背に体重を預け、カップラーメンが出来上がるのを待ちながら目をもんでいるかもしれない、とか
その誰かは東京の暮らしに慣れたけど本当にはまだ慣れていなくて、錆の出た玄関扉の青白い蛍光灯の下、実家から送られてきた箱をあけながら涙ぐんでいるかもしれない、とか
考えたりするのです。
首都高から見える明るかったり暗かったりするそれらの窓は、私の人生とはかすりもしない何十年かを過ごしてきて今そこに居たり居なかったりするそんな人たちのための場所で、そしてそのものすごく沢山ある窓のものすごく沢山の誰かたちは、この先何十年たっても私の人生と交わる事はほぼないのだ、と思うとなんだか気持ちがぎゅっとするのです。
夜の高速でそんな事をよく考える、と夫に言ったら驚かれました。まあ、私はちょっと変わっているんだと思う。小さい頃は赤毛のアンが嫌いでした。今は愛しい。そしてそれはたぶん幸せな事なのだと思う。