2014年1月20日月曜日

核心のまわりをふわふわと

芸能人のゴシップでは糟糠の妻を捨てて女優と再婚的な事はよく聞く話です。もちろんより魅力的な女に乗り換えるっていう単純欲求のケースもあると思いますが、でもたとえば。

自分はクチャラー的な人で、自分の周りも全部クチャラー的で世の中それが当たり前で疑問にも思ったことがない。ある日ひょんな事から連れて行かれるようになった先々で、クチャラー的であるというのは大変恥ずかしい事だと気づいた結果脱クチャし、でも家に帰ればクチャラー的な世界がそのままだったら。だんだんつらくなり、修正がきかない場合どちらかの世界から出ていく事について考える、というのは理解できる心理なのではないでしょうかね。

ちょっと極端な例ですが、マイフェアレディのイライザはもう下町に戻れないし、犯罪に置き換えたらよく映画とかで見る感じだし、田舎が嫌で東京に出る、とかもコレ系だと思います。褒められる場合も非難される場合も残念な場合もある。

今44歳で、最近数年前の自分の言動に恥ずかしいと思う事が出てきました。30代半ばには、もうあまりこの先そうは変わらないだろうと思っていたのですが、まだまだ階段はあるのだなぁ。思い返すと20代半ば、30代半ばそして今回40代半ば。10年に1回くらい、コンスタントに物の見方がちょっとづつ変わっているように思います。

人間は経験と共に変わっていきます。連続した気づきで緩やかに変わる場合おあれば、大きな驚きでラディカルに変わる場合もある。学生時代、仲のよかった友人とそりが合わなくなり離れてしまうっていうのは誰しも経験がある事だと思います。自分も残念な気持ちで思い出す事がいくつかあります。

貴賤や上下ではなく、横展開でも古い付き合いでも、並んで走っていたレールがある時逸れているって事に気付くってありますよね。逸れてしまったのは自分の場合もあるし相手の場合もある。残念だが仕方ない。そういう事もある。いつかまたどこかで寄り添う事もあるかもしれないと思えるようになったのは学生時代と違う所です。

年をとるごとに人間性は濃縮されていくように思います。最終地点がどこかはわかりませんが、穏やかな顔のおばあちゃんになるのが人生の目標なので、粛々と階段を上っていけたらいいなあと思います。



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今日は1/22ですがどうにもまだ消化できず。営業とバックオフィス、営業と技術。反目しますよね。てきとーかましても受注すればあんたの仕事は終わりで評価になるでしょうけど、尻拭いさせられるのはこっちなんだよ!ってよくある構造。とはいえ、営業が仕事を取ってこなければそもそも始まらない訳で、程度と双方のコミュニケーションスキルで大きく改善するとは思いますが。

舌先三寸とか、自分の利益の為のスタンドプレー、限りなく黒に近いグレーな行動や発言、ってのに抵抗感があります。
仕事では必要な時もあるもしれませんが、それに対して後ろ暗さを感じずむしろ誇らしげな様子の人たちに不信感を持ってきました。
変な正義感ではなく、そこに問題意識がないという事は、いつか悪意もなく私をターゲットにブラフしかける事もあるだろうなぁと思うから。

って事だな、たぶん。

つまり、リラックスしてぱっかーんと心を開いていて暮らしてもカモられないように、自衛心がこのもやもやを生み出しているわけか。

いや、大したことじゃないんです、客観的には。主観的にはむむむだけど。

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