2015年8月7日金曜日

「世界」との距離感

先日テレビで子供の自転車競技についてやっている番組を見ていたら、インタビューされた子供が世界に出ていきたいみたいな事を言っていました。感心すると同時に、自分があれくらいの年の時は「世界」なんて言葉は習字で書かされるくらいしか縁のない言葉だったなぁと思いました。

私はあまり勉強しない子でした。本とお絵かきが大好きだったけど、世界も視野も狭かったし、何のために勉強するのかが理解できなかったし、興味の持てない事を強制されるのも、理屈が理解できないのに詰め込まれる事も嫌でした。

子どもの頃に戻ってやりなおしてもやっぱり勉強しない子だと思うけど、今の頭で昔に戻ったらさすがに一生懸命勉強するような気がする。でも興味の持てない物については案外おんなじかも。特に算数は、こんなの電卓やエクセル使えばちゃちゃちゃなのに何故・・・!とちまちました手計算にフラストレーション爆発しそう。関数とかまでいけば面白そうだけど。しかしあの柔らかい頭が懐かしい・・・いや本当に勿体なかった。

今の私だったら何で勉強しないといけないのか子供に説明が出来る気がする。世界とか言えちゃう視野の広い弁の立つ子だったら逆に丸め込まれるかもだけど・笑 でも残念ながらそれを試せる相手がいないのでした。家にも妹のところにも義弟も子供いない。人口が減るわけですよ。

私にとっての勉強をした方が良い理由は、①面白い人達に会うため ②より広範囲の自由を得る為 かなって思っています。いろんな理屈がくっつくけど、端的にはこの2つだと思う。というか、勉強しない子が勉強する大人になって気づいた違いがこの2つでした。この手玉で子どもと議論してみたいなぁ。勝てっかなぁ?無理かなぁ?


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